聖書からの素敵な言葉を

聖書からの素敵な言葉を(ブログ)

聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた

『 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた 』

 

(今回は、死から復活したキリストの昇天(しょうてん=天にあげられること)、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・24章の45~53節より

『そしてイエスは、聖書(=当時はまだ新約聖書はなかったので旧約聖書のこと)を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように(聖書に)書いてある。『メシアは(=救い主キリストは)苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する(=これは十字架の苦しみをうけ、死から復活することで成就(じょうじゅ)しました)。また、罪の赦(ゆる)しを得させる悔い改めが(=わたしたちの罪に対する神のさばきを、キリストが身代わりとなって十字架でひきうけてくださいました。この恵みをさずかるための悔いあらため、神に向きなおることの必要さが)、その名(=キリストの名)によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレム(=かねてからのイスラエルの中心地)から始めて、あなたがたはこれらのことの証人(=キリストが人々の罪をあがなうために十字架にかけられ、そしてその死から復活したことの証人)となる。わたしは、父が約束されたもの(=神の霊である聖霊)をあなたがたに送る。高い所からの力(=聖霊)に覆(おお)われるまでは、都に(=エルサレムに)とどまっていなさい。」イエスは、そこから彼らをベタニア(=エルサレムの近くにある村)の辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された(=神の恵みのもとにうけいれられている者たちとした。より喜ばしい神との関係の中においてくださった)。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝(ふしおが)んだ後(のち)、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内(けいだい)にいて、神をほめたたえていた』

 

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(天にあげられたキリストは、現在父なる神の右の座についておられます。そして時期がくれば、ふたたびこの地上に再臨してくださるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストによる罪のあがないを信じて、神の国で再会することとなりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

なお聖書本文は、日本聖書協会の新共同訳から引用しております。

彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた

『 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた 』

 

(今回は、復活したキリストが、物を食べられている場面、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・24章の41~44節より

『彼らが(=弟子たちが)喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法(=神の民としての、よりよく生きるための指針)と預言者の書(=神からの使者が書きしるした書。イザヤ書、ダニエル書など)と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する(=それらの預言はすべて成就する)。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである」』

 

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(神の預言ははずれることがありません。キリストの復活も成就しました。そしていまは着実にキリストの再臨へと近づいていっているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストがもたらしてくださった恵みを信じて、神の国で再会することとなりますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

なお聖書本文は、日本聖書協会の新共同訳から引用しております。

この地上での死とは、肉体と魂が分離することをあらわしています

2021年7月3日

 

『 この地上での死とは、肉体と魂が分離することをあらわしています 』

 

(今回は、肉体は土にかえるけれど、魂は永遠に死なない、ということについてふれたいと思います。魂は、天国に入れられるとしても、地獄に入れられるとしても、いずれにせよ消滅することがなく永遠に生きつづけるのです)

 

・創世記・2章の7節より

『主なる神は、土の塵(ちり)で人を(=人類で最初につくられたアダムを)形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた(=これは神との交わりを可能にする “霊” と、ならびに “魂” を吹きいれたのだと思います。人は土からつくられた体だけで生きるのではなく、霊と魂をもったものとしてつくられたのです)。人はこうして生きる者となった』

 

・マタイによる福音書・10章の28節より(=以下はキリストのおことばです)

『体は殺しても、魂を殺すことのできない者ども(=迫害してくる者たち。広い意味では人間のこと)を恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方(=神)を恐れなさい(=このようにキリストは、体と魂をべつのものとして語られています。神だけがこの魂の行き先を、お決めになれるのです)』

 

・創世記・3章の19節より(=以下は、神が罪をおかしたアダムに語られたおことばです)

『お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで(=この地上で死んで、肉体が土にかえるときまで)。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る』

 

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(神は、体は朽(く)ちるものとして、魂は永遠に存在するものとして、二つをわけて定めておられます(=ただしアダムが罪をおかす前は、体もくちないものでした)。そしてこの地上での生涯がおわれば、人はいよいよ永遠の時を過ごす場所へと神によってうつされます。問題は、この地上での仮住まいをおえたあとに、永遠に天国で過ごすことになるのか、あるいは永遠に地獄で過ごすことになるのか、このちがいにあるのです。どうか一人でも多くの方が、キリストをうけいれ、永遠の命をさずかることができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

なお聖書本文は、日本聖書協会の新共同訳から引用しております。

<最重要記事>: 天国に入るのはむずかしくありません。キリストを信じれば、だれでもただで入れます

2021年4月6日

 

『 <最重要記事>: 天国に入るのはむずかしくありません。キリストを信じれば、だれでもただで入れます 』

 

(それでは天国に入るための “福音の3要素” をみていきたいと思います)

 

・コリントの信徒への手紙 一・2章の1~2節より(=以下は、宣教者パウロが書いたものです)

『兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画(=神の計画である永遠の御国(みくに=天国)の到来について)を宣べ伝えるのに優(すぐ)れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと(=これ以外の話をすることで、たとえば議論などに発展し、なにかを聞かされるはめになるのもさけようと)心に決めていたからです(=要するにパウロは、“キリストの十字架のこと” をつたえられさえすればよかったということです)』

 

(以下が、パウロが最もつたえたかった “福音の3要素” になります)

・コリントの信徒への手紙 一・15章の3~5節より

『最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けた(=神のみちびきのもとにさずかった)ものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと(=福音の要素その1:キリストは、わたしたちの罪の身代わりとして、十字架で血を流して死なれました)、葬られたこと(=要素その2:キリストは十字架で死に、その後、墓にほうむられました)、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと(=要素その3:キリストは十字架で死んだ三日目に、父なる神によって復活させられました)、ケファ(=これは弟子のペトロのこと)に現れ、その後十二人に現れたことです(=キリストはたしかに死からよみがえり、永遠にくちない栄光のからだをもって、弟子たちの前にあらわれたのです)』

 

(とくに “福音の3要素” の3番目について)

・ローマの信徒への手紙・4章の24節より

『わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方(=墓にほうむられたキリストを、死から復活させた父なる神)を信じれば、わたしたちも義(=神の前にただしい者)と認められます(=すなわち神の恵みにあずかって、永遠の命をさずかるということです)』

 

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※それでは以下に “福音の3要素” をまとめておきます。

1.キリストは、わたしたちの罪の身代わりに十字架で死なれました。

2.その後、墓にほうむられました。

3.三日目に、父なる神によって復活させられました。

 

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(これがわたしたちが天国に入るために信じるべき “福音の3要素” になります。それでは一人でも多くの方の胸に、このみことばがとどまりつづけますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

なお聖書本文は、日本聖書協会の新共同訳から引用しております。

今後あらわれる世界統一政府について

2020年12月9日

 

『 今後あらわれる世界統一政府について 』

 

(今回は、反キリストが支配することになる世界統一政府についてふれたいと思います。なおこの人物の背後にはサタンがついています)

 

・ダニエル書・11章の36~39節より(=以下は、み使いがダニエルに語りかけている言葉です)

『あの王(=反キリスト)はほしいままにふるまい、いよいよ驕(おご)り高ぶって、どのような神よりも自分を高い者と考える。すべての神にまさる神に向って恐るべきことを口にし(=聖書の神、キリストを冒涜し)、怒りの時が終わるまで(=神による7つの鉢(はち)のさばきがおわるときまで。すなわちキリストが再臨されるときまで)栄え続ける(=世界統一政府のトップに立ちつづける)。定められたことは実現されねばならないからである。先祖の神々を無視し、女たちの慕(した)う神をも、そして他のどのような神をも尊(とうと)ばず(=これはすべての宗教の神をあしらうということ)、自分を何者にもまさって偉大であると思う。代りに、先祖の知らなかった神、すなわち、砦(とりで)の神をあがめ(=これは自らを神と称してたてた像をあがめるということ)、金銀、宝石、宝物でこれを飾り立てる。強固な砦の数々を異国の神に頼って攻め(=権力拡大のために、自分が信じてもいない宗教を利用し)、気に入った者には栄誉を与えて多くの者を支配させ、封土(ほうど)を与える(=世界統一政府の支配のもと、奪いとった領土をあたえることになります)』

 

ヨハネの黙示録・13章の7~8節より

『獣は(=反キリストは)聖なる者たち(=キリストへの信仰がある者たち)と戦い、これに勝つことが許され(=迫害して殺すことがゆるされ)、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威(=世界中を支配する統一政府のトップに立つ権威)が与えられた。地上に住む者で、天地創造の時から、屠(ほふ)られた小羊(=十字架で死なれたキリスト)の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう(=神が用意されている “命の書” に名がない者は、反キリストをおがむことになります。これは反キリストをうけいれ、つきしたがうということです)』

 

ヨハネの黙示録・13章の16~18節

『また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者に(=世界統一政府の支配下にある世界中の人々に)その右手か額(ひたい)に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった(=この刻印がないと買い物ができないほどの、監視社会にみまわれます)。この刻印とはあの獣の名(=反キリストの名)、あるいはその名の数字(=反キリストの名をあらわす数字)である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間(=反キリスト)を指している。そして、数字は六百六十六である(=この六百六十六が、反キリストの名を示しているということです。現時点ではだれが反キリストであるかはわかりませんが、世界統一政府が誕生し、艱難期に入ればあきらかになります)』

 

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(聖書には、今後世界統一政府が誕生することが、神の預言として記されています。聖書を読まれたことのない方にとっては、世界が一つにまとまって良いではないかと思うかもしれませんが、この反キリストは絶大な権力をにぎり、その背後にはサタンがついているのです。これも神のご計画の一つであり、神はこの世のおわりのしめくくりとして、これら悪に属するものをほろぼされることになります。ですから今後この地上でおこっていくことに対して、わたしたちは聖書の観点から見つづけていくことが大切であるのです。それでは一人でも多くの方が、いつわりの情報にまどわされずに、真実とともに歩んでいくことができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

 

なお聖書本文は、日本聖書協会の新共同訳から引用しております。

※ もっとも簡単に聖書の大切なところをまとめてみました (1分で読めます)

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・この世の中には、すべてをおつくりになった神がおられます。

・神は正義のお方ですので、人間がおかした罪をかならずさばくことになります。

・わたしたちはだれもが罪をおかしていますので、そのだれもが神にさばかれる存在です。

・しかしイエス・キリストが、わたしたちの代わりに、十字架の上でそのさばきをうけてくださいました。

・キリストは十字架の上で苦しみ、血をながして死なれました。

・その後、お墓にほうむられました。

・しかし神が、キリストが死んで三日目に、キリストを死からよみがえらせました。

・よみがえったキリストは、いまは天にのぼられて、わたしたちを見守っておられます。

・神は、これらを信じている人たちの罪を、さばくことなくゆるしてくださいます。

・罪をゆるされたわたしたちは、永遠の命をあたえられ、神の国で、その愛をうけながらいつまでもすごすことになるのです。

 

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  (このことが、わたしたちが生きていく上で、知っておくべきいちばん大切なものです。どうか一人でも多くの方に、このメッセージがとどきますように)

今後、必ずイスラエルのエルサレムに “第三神殿” が建てられます

2020年9月7日

 

『 今後、必ずイスラエルエルサレムに “第三神殿” が建てられます 』

 

(今回は、神の預言である “第三神殿” についてふれてみたいと思います。いまはおわりの時代ですので、そう遠くない未来に、ユダヤ教徒のための神殿が、エルサレムに建てられることになります。神の預言は必ず成就しますので、もしいまの時点では、聖書を信じられないという方も、この神殿の建設を目撃するようなことがあったときには、どうか “偶然” や “たまたま” といった言葉でかたづけずに、聖書を信じていただければと思います)

 

(まず先に、なぜユダヤ教徒が、この神殿を歓迎することになるのかについて、ふれたいと思います。彼らは、キリストがメシアであると説く新約聖書を信じていませんが、旧約聖書は信じているのです。そして旧約聖書には、以下のような“ささげもの”についての記述があります。しかしいまのユダヤ教徒は、自分たちが礼拝をしていた第二神殿を失って以降(=すなわち西暦70年以降)、神の言葉どおりに、神殿にそなえられているはずの祭壇に、ささげものをささげられていない状況にあるのです。こうした理由からユダヤ教徒は、第三神殿を歓迎することになるのです)

レビ記・1章の3~5節より(=以下は、神が出エジプトのころに、モーセに語られたものです)

『あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄(おす)をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在(りんざい)の幕屋(まくや=これは当時の移動式の神殿のことです)の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖(あがな)う儀式を行うものとして受け入れられる。奉納者がその牛を主の御前で屠(ほふ)ると、アロンの子らである祭司たちは血を臨在の幕屋の入り口にある祭壇の四つの側面に注ぎかけてささげる(=このようにイスラエルの民は(=いまでいうユダヤ人は)、神の言葉に従って、動物のささげものをしていました。しかしいまは “祭壇” のそなわった神殿をもっていないのです。第一神殿はバビロン帝国に(=紀元前600年ごろに)、第二神殿はローマ帝国に(=西暦70年に)、それぞれ破壊されてしまったのです。つまりそれ以降、ユダヤ人は神殿をもたずに、現在をむかえてしまっているということです)』

 

(補足:なおユダヤ人の中でも、新約聖書を信じている人たち(=クリスチャン)は、もはや神殿を必要としていません。わたしたちは直接キリストをとおして、神とまじわることができるからです。しかしユダヤ教徒は、いまも神殿を望んでいるのです。こうした背景があるために、ダニエル書にある次のような神の預言が、現実味をおびてくるわけです)

 

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・ダニエル書・9章の27節より

『彼(=反キリスト)は一週(=7年)の間、多くの者と同盟を固め(=これは反キリストが、多くのユダヤ人が歓迎する同盟の内容を提示し、そしてそれを結ぶということです。以下につづく預言の内容をふまえると、この同盟を機に、第三神殿でささげものをするという行為が、再開されるものと思います。しかしここで複雑なのは、現在第三神殿が建てられるであろうとされているところには、イスラム教の建造物である岩のドームが建てられています。ですからそう簡単に、第三神殿の建設がおこなわれるとは考えられない状況にあるのです。こうした争いをひきおこしかねない現状を、いずれにせよ反キリストがクリアして、イスラエルと同盟を結んでみせるということです)、半週(=3年半)でいけにえと献げ物を廃止する(=このように反キリストは、最初こそ同盟を守りますが、それを機に第三神殿で再開された、いけにえと献げ物を、ユダヤ人を裏切るというかたちで3年半で禁止することになります)』

 

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ヨハネの黙示録・11章の1~2節より(=以下は、これからむかえる艱難期についてのことです)

『それから、わたし(=ヨハネ)は杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ(=このように神は、第三神殿のことと、そこで礼拝しているユダヤ人の人数を、気にかけておられます)。しかし、神殿(=第三神殿)の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人(=反キリストに属する異邦人)に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間(=これは同盟を破棄したあとの3年半のことです。すなわち7年間の艱難期の後半にあたります)、この聖なる都を(=エルサレムを)踏みにじるであろう(=反キリストは同盟を破棄して以降の、世のおわりの三年半で、エルサレムを荒らすだけでなく、ユダヤ人をほろぼすことをこころみます。その最後にもくろんでいる戦争が、ハルマゲドンの戦いということです。もちろんこれはキリストの再臨によって失敗におわります)」』

 

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・マタイによる福音書・24章の15~16節より(=以下は、キリストのお言葉です)

預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者(=これはダニエル書9:27のことで、反キリストを指しています)が、聖なる場所に立つのを見たら(=ここでの “聖なる場所” とは、第三神殿における至聖所(しせいじょ=神殿における最も神聖な場所)のことです。この至聖所に、反キリストが踏み入るのを見たら、もしくは反キリストをかたどった偶像が置かれるのを見たら、ということ)――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい(=このように反キリストが、ユダヤ教徒が重んじている神殿の至聖所に、踏み入ることが預言されているのです)

 

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(上記の内容は、神の預言ですから、はずれることはありません。こうした反キリストの裏切りによって、却って多くのユダヤ人が神に立ちかえり、キリストがメシアであることに気がついていくのです。これが神のご計画であるのです。どうかいまは聖書を信じられないという方も、ぜひ上記のことを覚えておいていただければと思います。それでは一人でも多くの方が、キリストに対して目がひらかれ、神の家族に加わることができますように)

 

なお聖書本文は、日本聖書協会の新共同訳から引用しております。