聖書からの素敵な言葉を

聖書からの素敵な言葉を(ブログ)

聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

今後、必ずイスラエルのエルサレムに “第三神殿” が建てられます

2020年9月7日

 

『 今後、必ずイスラエルエルサレムに “第三神殿” が建てられます 』

 

(今回は、神の預言である “第三神殿” についてふれてみたいと思います。いまはおわりの時代ですので、そう遠くない未来に、ユダヤ教徒のための神殿が、エルサレムに建てられることになります。神の預言は必ず成就しますので、もしいまの時点では、聖書を信じられないという方も、この神殿の建設を目撃するようなことがあったときには、どうか “偶然” や “たまたま” といった言葉でかたづけずに、聖書を信じていただければと思います)

 

(まず先に、なぜユダヤ教徒が、この神殿を歓迎することになるのかについて、ふれたいと思います。彼らは、キリストがメシアであると説く新約聖書を信じていませんが、旧約聖書は信じているのです。そして旧約聖書には、以下のような“ささげもの”についての記述があります。しかしいまのユダヤ教徒は、自分たちが礼拝をしていた第二神殿を失って以降(=すなわち西暦70年以降)、神の言葉どおりに、神殿にそなえられているはずの祭壇に、ささげものをささげられていない状況にあるのです。こうした理由からユダヤ教徒は、第三神殿を歓迎することになるのです)

レビ記・1章の3~5節より(=以下は、神が出エジプトのころに、モーセに語られたものです)

『あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄(おす)をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在(りんざい)の幕屋(まくや=これは当時の移動式の神殿のことです)の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖(あがな)う儀式を行うものとして受け入れられる。奉納者がその牛を主の御前で屠(ほふ)ると、アロンの子らである祭司たちは血を臨在の幕屋の入り口にある祭壇の四つの側面に注ぎかけてささげる(=このようにイスラエルの民は(=いまでいうユダヤ人は)、神の言葉に従って、動物のささげものをしていました。しかしいまは “祭壇” のそなわった神殿をもっていないのです。第一神殿はバビロン帝国に(=紀元前600年ごろに)、第二神殿はローマ帝国に(=西暦70年に)、それぞれ破壊されてしまったのです。つまりそれ以降、ユダヤ人は神殿をもたずに、現在をむかえてしまっているということです)』

 

(補足:なおユダヤ人の中でも、新約聖書を信じている人たち(=クリスチャン)は、もはや神殿を必要としていません。わたしたちは直接キリストをとおして、神とまじわることができるからです。しかしユダヤ教徒は、いまも神殿を望んでいるのです。こうした背景があるために、ダニエル書にある次のような神の預言が、現実味をおびてくるわけです)

 

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・ダニエル書・9章の27節より

『彼(=反キリスト)は一週(=7年)の間、多くの者と同盟を固め(=これは反キリストが、多くのユダヤ人が歓迎する同盟の内容を提示し、そしてそれを結ぶということです。以下につづく預言の内容をふまえると、この同盟を機に、第三神殿でささげものをするという行為が、再開されるものと思います。しかしここで複雑なのは、現在第三神殿が建てられるであろうとされているところには、イスラム教の建造物である岩のドームが建てられています。ですからそう簡単に、第三神殿の建設がおこなわれるとは考えられない状況にあるのです。こうした争いをひきおこしかねない現状を、いずれにせよ反キリストがクリアして、イスラエルと同盟を結んでみせるということです)、半週(=3年半)でいけにえと献げ物を廃止する(=このように反キリストは、最初こそ同盟を守りますが、それを機に第三神殿で再開された、いけにえと献げ物を、ユダヤ人を裏切るというかたちで3年半で禁止することになります)』

 

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ヨハネの黙示録・11章の1~2節より(=以下は、これからむかえる艱難期についてのことです)

『それから、わたし(=ヨハネ)は杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ(=このように神は、第三神殿のことと、そこで礼拝しているユダヤ人の人数を、気にかけておられます)。しかし、神殿(=第三神殿)の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人(=反キリストに属する異邦人)に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間(=これは同盟を破棄したあとの3年半のことです。すなわち7年間の艱難期の後半にあたります)、この聖なる都を(=エルサレムを)踏みにじるであろう(=反キリストは同盟を破棄して以降の、世のおわりの三年半で、エルサレムを荒らすだけでなく、ユダヤ人をほろぼすことをこころみます。その最後にもくろんでいる戦争が、ハルマゲドンの戦いということです。もちろんこれはキリストの再臨によって失敗におわります)」』

 

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・マタイによる福音書・24章の15~16節より(=以下は、キリストのお言葉です)

預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者(=これはダニエル書9:27のことで、反キリストを指しています)が、聖なる場所に立つのを見たら(=ここでの “聖なる場所” とは、第三神殿における至聖所(しせいじょ=神殿における最も神聖な場所)のことです。この至聖所に、反キリストが踏み入るのを見たら、もしくは反キリストをかたどった偶像が置かれるのを見たら、ということ)――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい(=このように反キリストが、ユダヤ教徒が重んじている神殿の至聖所に、踏み入ることが預言されているのです)

 

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(上記の内容は、神の預言ですから、はずれることはありません。こうした反キリストの裏切りによって、却って多くのユダヤ人が神に立ちかえり、キリストがメシアであることに気がついていくのです。これが神のご計画であるのです。どうかいまは聖書を信じられないという方も、ぜひ上記のことを覚えておいていただければと思います。それでは一人でも多くの方が、キリストに対して目がひらかれ、神の家族に加わることができますように)

 

なお聖書本文は、日本聖書協会の新共同訳から引用しております。