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聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

キリストの十字架を預言していた “過越(すぎこし)のまつり” について

2021年7月27日

 

『 キリストの十字架を預言していた過越(すぎこし)のまつりについて 』

 

(今回は、約3500年前に神が命じた過越のまつりの由来と、そこから約1500年後におこなわれたキリストの十字架との関係性についてふれたいと思います)

 

まずは、いまから約3500年前の、過越のまつりの由来となったできごとについて。このとき神は、エジプトの奴隷だったイスラエルの民を、エジプトから脱出させるために以下のような内容を命じられました。

 

出エジプト・12章の6~14節より

『それは(=イスラエルの人々が用意すべき小羊(こひつじ)は)、この月(=いまでいう3~4月)の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠(ほふ)り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居(かもい=入り口の上の横木)に塗る。そしてその夜、肉(=そのこひつじの肉)を火で焼いて食べる。また、酵母(こうぼ=パンをふくらますパン種)を入れないパンを苦菜(にがな)を添(そ)えて食べる。肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢(しし=四本の足)も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。それを食べるときは、腰帯(こしおび)を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主(=神)の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子(ういご=長男)を撃つ。また、エジプトのすべての神々(=うその神、偶像の神々)に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す(=さばきをくださずに、とおりすぎる)。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる(=神のみちびきのもとにエジプトを脱出した祝日となる)。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない(=これがいまもつづいている過越のまつりの由来です。神は小羊の血を救いの目印(めじるし)として、イスラエルを奴隷にしていたエジプトにだけさばきをくだしたのです)』

 

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そしてそこから約1500年の時を経て、今度はイスラエルの人々だけでなく、世界中の人々を救うためにキリストが血をながしてくださいました。

 

ヨハネによる福音書・1章の29節より

『その翌日、ヨハネ(=洗礼者ヨハネ。神からの使者ヨハネ)は、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ(=このようにヨハネは、キリストを神の “小羊” だと述べています。これは上記の出エジプトの際の、家の入り口にぬったこひつじの血としての役目を、キリストが果たしてくださるという意味にほかなりません)」』

 

・マタイによる福音書・26章の1~2節より

『イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である(=出エジプトの際に、こひつじをほふり、その血を入り口にぬった日である)。人の子は(=キリストは)、十字架につけられるために引き渡される(=このようにキリストは、1年のうちで1日しかない過越のまつりの日に(=こひつじの血を入り口にぬった日に)、十字架にかけられ、世界中の人々を救うための血をながされることになったのです)」』

 

・ペトロの手紙 一・1章の18~19節より

『知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来(せんぞでんらい=先祖代々)のむなしい生活から贖(あがな)われたのは(=先祖からの罪をおかしつづけてきた生活から、つぐないをして救われたのは)、金や銀のような朽(く)ち果てるものにはよらず、きずや汚(けが)れのない小羊(=罪とは無縁のこひつじ)のようなキリストの尊(とうと)い血(=十字架でながしてくださった “血” )によるのです(=これがキリストがもたらしてくださった “すぎこし” です。キリストを信じている人たちは、神のさばきからまぬがれているのです)』

 

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(このようにキリストは、約3500年前にさだめられた日と同じに日に十字架にかけられました。これが神のご計画であり、世界中の人たちが知るべきことであるのです。もし信仰がなく、この記事を読まれた方は、このことがらについて、どうか納得がいくまで調べてみてください。1日の誤差もなくキリストはこの日に死なれているのです。それでは一人でも多くの方が、人生においていちばん大切なことに気がつき、罪をゆるされている(=罪へのさばきが信仰によってすぎこされている)日々をおくっていくことができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)