聖書からの素敵な言葉を

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聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

マタイによる福音書のむずかしい例え:その六

2021年5月23日

 

『 マタイによる福音書のむずかしい例え:その六 』

 

(今回も、マタイによる福音書にある、キリストが語られたむずかしい例えについて、ふれてみたいと思います)

 

・マタイによる福音書・21章の18~22節より

『朝早く、都に帰る途中(=再びエルサレムに向かうとき)、イエスは空腹を覚えられた。道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった(=このいちじくの木には “実” がなっていませんでした。この “実” のない状態が、これから行くエルサレムの、とりわけ神殿での信仰がなく、神にそむいている状態をあらわしています)。そこで、「今から後(のち)いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった(=これは、信仰がないにもかかわらず、悔い改めることのないエルサレムに向けてのおことば(=預言)になっています。この “枯れる” にあらわされているように、実際エルサレム神殿は、この40年後(西暦70年)に、ローマ軍によって破壊されることになります。これによってエルサレム神殿は、もはや礼拝をささげる場ではなくなったのです)。弟子たちはこれを見て驚き、「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と言った。イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる(=これは、神への信仰があれば、木を枯れさせる(=信仰がなく、神にそむいた状態にあるものをすたれさせる)ことができるばかりでなく、山(=たとえば信仰の前進をさまたげる、途方もなく大きな障害)をも平たんにさせられるということ。言いかえるなら、不可能と思えることでも、神にこころから祈り求め、それがみこころに適っているならば、その不可能が可能なものになるということです。もちろんこの際に、山をどかされるのは、それを祈っている本人ではなく、神ご自身になります)。信じて祈るならば、求めるものは(=神との関係を深めるもの、信仰の成長にかかせないものなどは)何でも得られる」』

 

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(上記の箇所も、わたしがいつもむずかしく感じているところです。そこで今回、文字におこして向かいあってみました。もちろんこれが絶対だというものではありませんので、うのみにせずに、お一人お一人がキリストとのまじわりをふかめていただければと思います。それでは一人でも多くの方が、キリストのもとに立ちかえることができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)