聖書からの素敵な言葉を

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聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

マタイによる福音書のむずかしい例え:その三

2021年5月16日

 

『 マタイによる福音書のむずかしい例え:その三 』

 

(今回も、マタイによる福音書にある、キリストが語られたむずかしい例えについて、ふれてみたいと思います)

 

・マタイによる福音書・16章の24~28節より(=以下はキリストのおことばです)

『それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て(=自分を神の所有物としてあけわたし)、自分の十字架を背負って(=神に全面的に服し、命をささげる覚悟を持って)、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は(=自分の命を優先する者は)、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る(=自分の命よりもキリストのこと、またその教えを優先する者は(=すなわち信仰のある者は)、永遠の命にさずかれるということ)。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら(=わたしたちの命を管理されているのは神です。たとえ全世界を手に入れても、神に命をうばわれるようなことになったら)、何の得があろうか(=なんの得もありません)。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか(=どんな代価も支払えません)。人の子は(=キリストは)、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが(=再臨されますが)、そのとき、それぞれの行いに応じて報(むく)いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々(=弟子たち)の中には、人の子がその国(=神の国)と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる(=これはこの話をした六日ののちに、キリストが神の国の権威をおびて、栄光につつまれた姿をお見せになります。その姿を見とどける者が、この弟子たちの中にいるということです。なおこれを目撃したのは、ペトロ、ヤコブヨハネの三人になります。また補足になりますが、とくにこのうちのヨハネにいたっては、この何十年後かに、千年王国や、永遠の御国(みくに)の幻(まぼろし)をキリストから見せられて、それを黙示録として書きのこすまでは、決して死ぬことがありませんでした(黙示録21、22章参照のこと)。このように神は一人一人の命を支配してささえておられるのです)」』

 

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(上記の箇所も、わたしがむずかしく感じているところです。そこで今回、文字におこして向かいあってみました。もちろんこれが絶対だというものではありませんので、うのみにせずに、お一人お一人がキリストとのまじわりをふかめていただければと思います。それでは一人でも多くの方が、キリストのもとに立ちかえることができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)