聖書からの素敵な言葉を

聖書からの素敵な言葉を(ブログ)

聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

サタンや悪霊は、神のゆるしがなければなにもできない存在です

2021年4月27日

 

『 サタンや悪霊は、神のゆるしがなければなにもできない存在です 』

 

(今回は、サタンや悪霊も、所詮は神のご支配のもとにある、ということについてふれたいと思います)

 

(以下は、バアルという神ではないものを神に仕立てあげた偶像の無力さです。このように偶像の背後にサタンや悪霊がいたところで、なにもできないのです)

・列王記 上・18章の26~29節より

『彼らは与えられた雄牛(=おすの牛)を取って準備し、朝から真昼までバアル(=いつわりの神)の名を呼び、「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。真昼ごろ、エリヤ(=まことの神からの使者)は彼らを嘲(あざけ)って言った。「大声で呼ぶがいい。バアルは神なのだから(=これはエリヤからの、バアルを神と信じている者たちへの皮肉です)。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう。」彼らは大声を張り上げ、彼らのならわしに従って剣(つるぎ)や槍(やり)で体を傷つけ、血を流すまでに至った。真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった(=結局バアルがあらわれないので、エリヤと競っていた彼らは、ささげ物をだれにもささげることができず敗者となりました)』

 

(以下の悪霊も、神であるキリストの前ではひれふすしかないのです)

・マルコによる福音書・5章の5~13節より

『彼(=悪霊にとりつかれている者)は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから(ごしょう=お願いだから)、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚(けが)れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン(=レギオンには、大勢からなる軍という意味があります)。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った(=これは底なしの淵(ふち)といった悲惨なところに送られるぐらいなら、豚の中のほうがマシだということです)」。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った(=このように悪霊は、キリストのもつ力に恐れをなしています。所詮は彼らも神によってつくられた被造物(ひぞうぶつ)にすぎないのです)』

 

(以下は、艱難期(=世のおわりの7年)の中間における、サタンのふるまいです)

ヨハネの黙示録・12章の7~10節より

『さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたち(=キリストに忠実な天使長ミカエルと天使たち)が、竜(=サタン)に戦いを挑んだのである。竜とその使いたち(=悪霊たち)も応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇(へび)、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。わたしは(=使徒ヨハネは)、天で大きな声(=すでに天にあげられた信仰者たちの声。おそらくは艱難期の前半に殉教(じゅんきょう)した者たちの声)が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシア(=キリスト)の権威が現れた。我々の兄弟たち(=キリストを信じている兄弟たち)を告発する者、昼も夜も我々の神の御前(みまえ)で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである(=この “告発する者” とは、もちろんサタンのことです。彼はいま現在も、一人でも多くのクリスチャンを地獄(=火の池)に道づれにしようと、わたしたちの罪をさがしては、神に告発しているのです。しかしわたしたちの罪は、キリストの血によってすべて贖(あがな)われているのですから、彼の告発はすべて却下されています。こんなムダなことを延々とつづけているのが、悪魔の頭(かしら)サタンなのです)」』

 

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(上記に見られるように、サタンや悪霊も神の被造物にすぎず、彼らには、神が人間の救いのために用意されている計画を頓挫(とんざ=中断)させる力はないのです。それに彼らのすべてが火の池にいれられることは、すでに確定しています。霊の存在である彼らは、神の存在を確実に知った上で反逆したのですから、神は彼らに対しては、悔いあらための余地をのこしてはおられないのです。どうか一人でも多くの方が、こうした真理にふれることができますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)