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マルコによる福音書の13章・全文(解き明かし)

2020年7月27日

 

『 マルコによる福音書の13章・全文(解き明かし) 』

 

(それでは13章を見ていきたいと思います)

 

・マルコによる福音書・13章の1~2節より

『イエスが神殿(=これはエルサレム神殿のことで、第二神殿と呼ばれているものです。なお第一神殿は、この当時よりさらに600年ほど前に、他国の王ネブカドネザル2世によって侵略され破壊されています)の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう(=神殿をほめたたえています)。」イエスは言われた。「これらの大きな建物(=神殿)を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない(=キリストは、目の前にある神殿の崩壊を預言されています。この預言は実際に、このときより40年後の西暦70年に、ローマ軍によって破壊されることで、現実のものとなりました)」』

 

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・マルコによる福音書・13章の3~13節より

『イエスがオリーブ山(=エルサレムの東にある山)で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブヨハネ、アンデレ(=4人とも弟子です)が、ひそかに尋ねた。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか(=弟子たちは、神殿が崩壊すると聞いて、そこに世のおわりを結びつけて尋ねています。ゼカリヤ14-1~2)。また、そのことがすべて実現するときには(=世のおわりがおとずれ、神の国が実現するときには)、どんな徴(しるし=目安となるできごと)があるのですか。」イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を(=キリストの名を)名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ(=わたしがメシアだ、わたしが神だ)』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり(=これは小さな紛争というよりも、大きな戦争のことを指しているように思います。たとえるなら、第一次世界大戦第二次世界大戦がこれにあたります)、方々に地震があり、飢饉(ききん)が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである(=神の国の実現に向けての、さけられない苦しみのことです。いまの時代は、戦争も経験し、地震や飢饉もいたるところで見られ、まさに “苦しみの時” にあるといえるのです)。あなたがたは自分のことに気をつけていなさい(=ここでの “あなたがた” とは、キリストがいま話をしている弟子たちのことです。ですが、以下につづられている迫害の内容は、これから先、信仰者のだれにでもあてはまってくることであるのです。というのもヨハネの黙示録には、多くの信者が迫害をうけて殺されることが記されているからです)。あなたがたは地方法院(=法廷のこと)に引き渡され、会堂で打ちたたかれる(=弟子たちは、キリストへの信仰をもっていることで犯罪者あつかいされ、刑をうけることになります)。また、わたしのために総督(そうとく)や王の前に立たされて(=権力者の前に立たされて)、証しをすることになる(=キリストへの信仰を証言することになります)。しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない(=しかしそうしたことが起こる前に、まず福音が世界中に広められなければなりません)。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと(=キリストへの信仰をどのように証ししようかと)取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう(=これは弟子たちがキリストを信じているという理由で、家族からも裏切られ、殺しあいさえ起こるだろうということ)。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる(=キリストからの恵みにあずかれるということ)」』

 

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・マルコによる福音書・13章の14~23節より

『「憎むべき破壊者(=これは反キリストのことです。反キリストとは、世のおわりの7年間(=艱難期)にあらわれて、イスラエルと上辺(うわべ)だけの条約を結んだり(=ダニエル9-27)、世界中の人々をまどわしたりする、悪の中心となる人物のことです)が立ってはならない所(=この “立ってはならない所” とは、エルサレム神殿(=第三神殿)の至聖所(しせいじょ)のことです。ただし第一神殿、第二神殿と破壊されて以降、まだ第三神殿は建設されていません。今後この第三神殿がエルサレムに建てられることになります。また至聖所とは、神殿の奥にある最も神聖な場所のことです)に立つのを見たら(=反キリストが第三神殿の至聖所に立ち、自分こそが神であると宣言するのを見たら、ということ。もしくは反キリストをかたどった偶像が、神として至聖所に置かれるのを見たら、ということ)――読者は悟れ(=これは聖書の読者への呼びかけです)――、そのとき、ユダヤ(=イスラエルにあるユダヤ地方のこと)にいる人々は山に逃げなさい(=これはヨルダン方面にある山のことだと思います)。屋上にいる者は下に降りてはならない(=一刻の猶予もないので、即座に山ににげるようにということ)。家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。それらの日には、身重(みおも=妊娠していること)の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。このことが冬に起こらないように、祈りなさい。それらの日には(=反キリストが神殿の至聖所に立ったあとには、ということ。なお反キリストが神殿に立つのは、艱難期のちょうど中間のとき(=世のおわりまであと3年半のとき)になります。ダニエル12-11)、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである(=反キリストによるユダヤ人への大規模な迫害、虐殺(ぎゃくさつ)がおこなわれるということ)。主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主は御自分のものとして選んだ人たちのために(=信仰のあるユダヤ人のために)、その期間を縮めてくださったのである(=苦難の大きい期間を、3年半にちぢめて定めてくださったということ)。そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽(にせ)メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業(わざ)を行い(=悪の側にはサタンがついているので、偽のメシアである反キリストや偽預言者が、人間離れした奇跡めいたことをおこないます)、できれば、選ばれた人たち(=信仰のある人たち)を惑わそうとするからである。だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく」』

 

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・マルコによる福音書・13章の24~27節より

『「それらの日には(=世のおわりへと向かう艱難期には)、このような苦難の後(=戦争や飢饉、迫害などの苦難ののち)、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる(=ここは文字どおり、とてつもない天変地異が神によってもたらされるということだと思います)。そのとき、人の子が(=キリストが)大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る(=これがキリストの再臨です。このときに反キリストや偽預言者を含めた悪を一掃(いっそう)することになります)。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める(=ここには “地の果てから天の果てまで” という言葉がありますので、艱難期を生きぬいた信者たちはもちろんですが、信仰があって、すでに亡くなっている者たちも、この呼び集められる者の中に含まれているものと思います(=おそらくこのときに旧約時代の信仰者たちも復活するものと思います)。こうして信者たちがエルサレムに集められ、キリストが治める千年王国に向けての準備が進められていくことになります)」』

 

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・マルコによる福音書・13章の28~31節より

『「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのこと(=戦争や飢饉、迫害など、また反キリストによる悪のおこない、そして天変地異など)が起こるのを見たら、人の子が(=キリストが)戸口に近づいている(=再臨が近づいている)と悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない(=サタンが世を支配している時代はおわらないということ)。天地は滅びるが(=いずれ永遠の神の国の誕生に向けて、いまある天と地はほろびることになります)、わたしの言葉は(=キリストの言葉は。すなわち聖書の言葉は)決して滅びない」』

 

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・マルコによる福音書・13章の32~37節より

『「その日、その時は、だれも知らない(=これは再臨ではなく携挙(けいきょ)のことです)。天使たちも子も(=キリストも)知らない。父(=神)だけがご存じである(=このように携挙がいつ起こるのかは、父だけがご存知であり、わたしたちには予測がつきません。その一方で、再臨は艱難期に入ってしまえば、見きわめがつきます。というのも世のおわりまであと7年だからです。この終止符をうつのが、再臨であるのです)。気をつけて、目を覚ましていなさい(=信仰を持ちつづけていなさい)。その時がいつなのか、あなたがたには(=弟子たちやわたしたちには)分からないからである。それは、ちょうど、家を後に旅に出る人(=キリスト)が、僕(しもべ)たちに(=わたしたち信仰者に)仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ(=わたしたちの一人一人が、キリストからわりあてられたはたらきを担(にな)っているということ)。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏(にわとり)の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを(=信仰を失っているのを)見つけるかもしれない(=携挙からもれてしまうかもしれないということ)。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ(=弟子たちだけでなく、世界中の人たちに告げているのだ)。目を覚ましていなさい」』

 

(次回は14章を見ていきたいと思います)