聖書からの素敵な言葉を

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マルコによる福音書の7章・全文(解き明かし)

2020年7月6日

 

『 マルコによる福音書の7章・全文(解き明かし) 』

 

(それでは7章を見ていきたいと思います)

 

・マルコによる福音書・7章の1~5節より

 

ファリサイ派(=キリストを敵視しているユダヤ教の一派)の人々と数人の律法学者(=神の律法を歪曲(わいきょく)したものを受け継ぎ、それを広めている者)たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった(=彼らは自分たちが正しいと思っているので、こうしてキリストをおとしいれようと集まってきています)。そして、イエスの弟子たちの中に汚(けが)れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た(=彼らは、異邦人(=ユダヤ人以外の人々)をけがれた者とみなしていました。そうした異邦人とどこで接触しているのかわからないので、食事の前には必ず、手をけがれたものとして洗っていたのです)。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝え(=これらは神の教えではありません)を固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場(いちば)から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない(=これも買い物にでた際は、異邦人と接触しているものとみなしていました。そのけがれをこうして落としているわけです)。そのほか、杯(さかずき)、鉢(はち=深い形の食器)、銅の器や寝台(しんだい)を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある(=これらも神からの教えではありません。しかし彼らには、自分たちが神の律法の学者であるという自負があるわけです)。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの(=キリストの)弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか(=このように彼らは、キリストの弟子たちを正そうとしています)」』

 

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・マルコによる福音書・7章の6~13節より

 

『イエスは言われた。「イザヤ(=旧約時代に神から遣わされた預言者)は、あなたたち(=ファリサイ派や律法学者)のような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民(=イスラエルの民)は口先ではわたしを(=神を)敬(うやま)うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを(=神からでたものではないいましめを)教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている(=人間からのいましめを、神からのもののように教え、神をゆがめてあがめてしまっている)。』あなたたちは神の掟(おきて)を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろ(=軽んじたもの)にしたものである。モーセ(=神から遣わされた預言者で、エジプトの奴隷だったイスラエルの民を救出した人物)は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン(=ささげもの)、つまり神への供え物です(=父や母に差し上げるべきものは、神にささげることにしました)」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と(=このように彼らは、神の教えを歪曲していました)。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉(=みことば。また神からの律法)を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている(=ほかにも自分たちに都合よく、神の教えをねじまげているということ)」』

 

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・マルコによる福音書・7章の14~23節より

 

『それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので(=食べ物のうちで)人を汚(けが)すことができるものは何もなく、人の中から(=心から)出て来るものが、人を(=その人を)汚すのである(=心の中の悪い思いが、言葉や行為となって表にでてくるということ。これは食事の前に、執拗(しつよう)に手を洗っているファリサイ派たちの言葉をうけてのお言葉です)。」イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るもの(=食べ物)は、人を汚すことができない(=罪とは無関係である)ことが分からないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に(=胃や腸に)入り、そして外に出される(=便(べん)として外にだされる)。こうして、すべての食べ物は清められる。」更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫(かんいん=性に関わる不道徳)、貪欲(どんよく=欲が深いこと)、悪意、詐欺(さぎ)、好色(こうしょく=男女間の情事)、ねたみ、悪口(あっこう)、傲慢(ごうまん=おごりたかぶって人を見下すこと)、無分別(=わきまえがないこと)など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」』

 

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・マルコによる福音書・7章の24~30節より

 

『イエスはそこを(=ガリラヤ湖の北西、ゲネサレトを)立ち去って、ティルスの地方(=いまのレバノンにあたる、当時異邦人が多くいた地方)に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが(=おそらく群衆から遠ざかりたかったのだと思います)、人々に気づかれてしまった。汚(けが)れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキア(=いまのシリアの地域)の生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない(=この “子供たち” とは、大人を含めたユダヤ人のたとえです。キリストは、父なる神から、まずユダヤ人に対していやしや、恵みをもたらすようにと使命をさずかっていました)。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない(=この “小犬” とは、異邦人のたとえです。救いの順番は、まずユダヤ人からであり、まだこのときは異邦人の救いの時期ではなかったということです(マタイ15-24)。しかしながら、キリストはこう述べられている中でも、その女の信仰を引きだそうとされているのだと思います)。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑(くず)はいただきます(=彼女は自分が異邦人であるのをみとめた上で、ユダヤ人に向けられるべき救いの、そのおこぼれにあずかろうと願い求めています)。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい(=キリストがお認めになるほどに、女の信仰が正しく、切実であったということ)。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床(とこ)の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた』

 

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・マルコによる福音書・7章の31~37節より

 

『それからまた、イエスティルスの地方(=いまのレバノン)を去り、シドン(=ティルスの北)を経てデカポリス地方(=いまのシリア)を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し(=おそらくキリストは、群衆がますます過熱するのをさけられているのだと思います)、指をその両耳に差し入れ、それから唾(つば)をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ(=これはアラム語です)」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる(=群衆の中には、こころから神の福音を信じるようになった者もいたでしょうが、その一方で、キリストをどんな病でもなおしてくれる便利屋のようにとらえ、父なる神にではなく、ただキリストがおこなう奇跡に焦点をあてて、大いに盛り上がっていた者もいたように思います。もちろんこうした後者の人々を、キリストは望まれているわけではありません。こうした理由もあって、群衆から離れていやしの奇跡をおこなわれ、信仰のある一人一人に対して応えられていたのかもしれません。なおこれについては、マルコ5章の35~43節の注釈も参考にしていただければと思います)」』

 

(次回は8章を見ていきたいと思います)