聖書からの素敵な言葉を

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マルコによる福音書の6章・全文(解き明かし)

2020年7月5日

 

『 マルコによる福音書の6章・全文(解き明かし) 』

 

(それでは6章を見ていきたいと思います)

 

・マルコによる福音書・6章の1~6節より

 

『イエスはそこを去って故郷(=ナザレ)にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなこと(=神の国についてや、病をなおす奇跡など)をどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工(だいく)ではないか(=キリストの父であるヨセフは大工でしたので、宣教をする前のキリストもそれを手伝っていたのだと思います)。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか(=キリストの兄弟が挙げられていますが、この “ユダ” は、キリストの弟子の “ユダ” とは別人です)。姉妹たち(=キリストには姉妹もいました)は、ここで(=ナザレで)我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた(=このようにナザレの人々は、キリストを神とは認めず、自分たちと変わらない人間であるとしか見ることができなかった)。イエスは、「預言者(=神からの啓示をつたえる者)が敬(うやま)われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた(=これは近しい人ほど、その人の過去や生い立ちを知っているので、あるときを境に神の使命をおびたその人を、容易には受け入れられないということ)。そこでは(=ナザレの会堂では)、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった(=キリストは、たとえ故郷であっても、信仰のない者に対しては奇跡をおこなわなかったということ)。そして、人々の不信仰に驚かれた』

 

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・マルコによる福音書・6章の6~13節より

 

『それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人(=弟子)を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた(=宣教をさせた)。その際、汚(けが)れた霊に対する権能(=悪霊を追いだす権威)を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯(おび)の中に金も持たず、ただ履物(はきもの)は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた(=彼らには、神がついているので、旅先でこれらについて困ることはないということ)。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい(=これは弟子たちを受けいれた家のことです)。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃(ほこり)を払い落としなさい(=弟子たちをこばんだという証拠が、神の中にのこされることになります)。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした(=あぶらとは薬のことですが、ここでは神が介入されて病をなおしたということだと思います)』

 

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・マルコによる福音書・6章の14~20節より

 

『イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王(=ヘロデとはイドマヤ人で、ローマの後ろ盾によってユダヤの王に在位していた人物)の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤ(=旧約聖書にでてくる預言者)だ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者(=モーセが預言していた預言者)だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており(=これは兄弟の妻を奪ったということ)、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである(=ヨハネが正しいことを指摘したからである)。そこで、ヘロディアは(=ヘロデが兄から奪った妻は)ヨハネを恨み(=これは彼女が、王の妻になれたことに満足していたため、いまある地位を失うことになりはしないかとうらんでいたということ)、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人(=神からの使者)であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである』

 

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・マルコによる福音書・6章の21~29節より

 

『ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会(えんかい)を催(もよお)すと、ヘロディア(=ヘロデ王が、自分の兄弟から奪った妻)の娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に(=ヘロディアに)、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆(ぼん)に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退(しりぞ)けたくなかった。そこで、王は衛兵(えいへい=配置されている兵)を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた(=このようにヘロデは、洗礼者ヨハネを殺してしまいました)』

 

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・マルコによる福音書・6章の30~36節より

 

『さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたこと(=彼らはキリストの指示をうけて、宣教にでかけていました)を残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇(ひま)もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉(いっせい)に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり(=キリストも弟子たちの舟に一緒に乗っていたのだと思います)、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊(=さまよっているひつじのこと。ここでは信仰のない群衆をこうたとえている)のような有様を深く憐れみ(あわれみ=気の毒に思う、また同情する)、いろいろと(=神からの良い知らせ、福音を)教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう(=ちなみにここには成人男性だけで五千人いましたので、女性と子供を合わせればさらに多くがいたことになります)」』

 

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・マルコによる福音書・6章の37~44節より

 

『これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオン(=200日分の労働賃金に相当)ものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂(さ)いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑(くず)と魚の残りを集めると、十二の籠(かご)にいっぱいになった(=のこりもののほうが、最初にあったパン五つと魚二匹の量よりもふえています)。パンを食べた人は男が五千人であった(=このように神は、自在に “物” を生みだすことができるのです)』

 

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・マルコによる福音書・6章の45~52節より

 

『それからすぐ、イエスは弟子たちを強(し)いて(=あえて)舟に乗せ、向こう岸のベトサイダ(=ガリラヤ湖の北東の町)へ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事(=これはキリストが5つのパンと2匹の魚を裂(さ)き、群衆にわけあたえたあとで、その食べのこりをかごに集めてみたら、かえって増えていたという出来事のこと)を理解せず(=キリストが神であり、その神には不可能がないということを理解せずに)、心が鈍くなっていたからである』

 

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・マルコによる福音書・6章の53~56節より

 

『こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地(=ガリラヤ湖の北西の土地)に着いて舟をつないだ。一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた(=このようにキリストがされていた奇跡が、うわさになってすでに広まっていたということ)。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた』

 

(次回は7章を見ていきたいと思います)