聖書からの素敵な言葉を

聖書からの素敵な言葉を(ブログ)

聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

聖書における罪から抜けだしていくために(八の二)

2020年4月30日

 

『 聖書における罪から抜けだしていくために(八の二) 』

 

(それでは「7」のつづきをみていきたいと思います)

 

7.それにもかかわらず、罪を犯してしまう場合はどうすればいいのか。

 

前回の(八の一)の3つの項目に加え、

4)キリストを信じる者のだれもが、聖霊によって導かれ、日々キリストに似通った者へと変えられていっているということ。

を見ていくことにします。

 

・ローマの信徒への手紙・8章の1~2節より

『従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は(=キリストと一体になっている者は)、罪に定められることはありません(=たとえ罪を犯していたとしても無罪とされる状態にあります)。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則(=キリストを信じることで、わたしたちには聖霊が宿ってくださいます。この霊がわたしたちを御心(みこころ)に沿うように導いてくださるのです)が、罪と死との法則からあなたを解放したからです(=罪が向かう先は死(=火の池)の裁きです。そして罪を犯す性質が、この体には受け継がれています。しかし聖霊をさずかっているわたしたちは、すでにいかなる罪も無罪とされる状態にあり、罪、またそこからもたらされる死は、わたしたちに影響を及ぼし得ないのです。本来影響を受けるはずだったかつてのわたしたち(=信仰を持つ前の古いわたしたち)は、キリストとともに十字架にかけられ、すでに死んだ者となりました。いまのわたしたちは罪から解放され “神の霊” に従う者として新しく生まれ変わっているのです)』

 

・ローマの信徒への手紙・8章の5~11節より

『肉(=これは人間がアダムより受け継いだ、罪を犯す性質を象徴している言葉です)に従って歩む者は、肉に属することを考え(=罪や悪に属していようとすることを考え)、霊(=聖霊)に従って歩む者は、霊に属すること(=神に正しいとされること)を考えます。肉の思いは(=肉がもたらしてくる思いは)死であり、霊の思いは(=聖霊がもたらしてくる思いは)命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法(=旧約聖書にでてくる、神の民がよりよく生きるための指針。※なお、いまのわたしたちは “霊” の支配下にあり “律法” からは解放されていますが、律法そのものは聖なるものであり善いものです)に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません(=肉の支配下にあるとは、一言に信仰のない者たちのことです)。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます(=霊の支配下にあるとは、信仰のある者たちのことです)。キリストの霊を持たない者は(=信仰がなく、聖霊をさずかっていない者は)、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば(=信仰のある者はキリストと一体になっており聖霊を宿しています)、体は罪によって(=アダムから受け継いだ罪を犯す性質によって)死んでいても、“霊” は(=わたしたち自身の霊は)義によって(=キリストの霊がもつ正しさによって)命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方(=父なる神)の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は(=父なる神は)、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう(=本来であれば罪を犯しているわたしたちは、死の裁きを受けて滅びるはずでした。しかしいまのわたしたちには聖霊が宿っており、その霊が永遠の命を保証してくださっているのです)』

 

・ガラテヤの信徒への手紙・5章の22~25節より

『これに対して(=肉のおこないに対して)、霊(=聖霊)の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容(かんよう=心がひろいこと)、親切、善意、誠実、柔和(にゅうわ=態度がやわらかいこと)、節制(=ひかえめなこと)です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった(=キリストと一体になった)人たちは、肉を欲情や欲望もろとも(=罪に属するものを)十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導き(=宿された聖霊の導き)に従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう(=その導きに心をゆだねて歩んでいきましょう)』

 

・コリントの信徒への手紙 二・3章の16~18節より

『しかし、主(=神)の方に向き直れば、覆(おお)いは(=キリストと人々とをさえぎるものは)取り去られます。ここでいう主(=神)とは、“霊(=聖霊)”のことですが、主の霊のおられるところに自由(=罪から解放された自由)があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら(=神の栄光の影響を一人一人がうけながら)、栄光から栄光へと(=より栄光が増しくわえられて)、主と同じ姿に造りかえられていきます(=キリストに似通った者へと変えられていきます)。これは主の霊の働きによることです(=これは聖霊の導きによるものなのです)』

 

(このように、わたしたちは信仰によって、“肉” の支配下ではなく、“霊” の支配下にあるのです。そのためおのずと聖霊に従って歩むようになり、霊に属することを考えていくものなのです。もし自分が原罪の影響を受けているように感じるときには、自分がキリストと一体であること、また自分の内にいる聖霊が、御心に沿うように導いてくださることを心に当てたらよいのです。これらのことを信じて、神に心からの信頼をよせていく必要があるのです。それでは次回は「8」をみていきたいと思います)