聖書からの素敵な言葉を

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聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

聖書における罪から抜けだしていくために(八の一)

2020年4月28日

 

『 聖書における罪から抜けだしていくために(八の一) 』

 

(それでは「7」をみていきたいと思います)

 

7.それにもかかわらず、罪を犯してしまう場合はどうすればいいのか。

 

これにはより詳しい聖書への理解が必要です。まず、

1)かつての罪の奴隷状態にあった、古い自分は(=すなわち信仰をもつ前の自分は)、キリストとともに十字架にかけられて、すでに死んだということ。

2)そしてキリストが死から復活させられたように、わたしたちも聖霊(=神の霊)をさずかることで復活し、神のために生きる者として、新しく生まれ変わっているということ。

3)この新生にあずかったわたしたちは、霊において、キリストと一体になっているということ。

の、この3つの項目を、次の引用からひとまとめに見ていくことにします(=項目の(4)については次回にまわします)。

 

・ローマの信徒への手紙・6章の3~4節より

『それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれる(=一つになる)ために洗礼(=ここでの “せんれい” とは、キリストを信じたときに、キリストがわたしたちにさずけてくださる聖霊による洗礼のことです。信仰のあるわたしたちは、すでにこの洗礼を受けおえています。なお洗礼には、キリストと一体になるという意味があり、わたしたちはすでにキリストと一体になっているのです)を受けたわたしたちが皆、またその死に(=キリストの十字架での死に)あずかるために洗礼を受けたことを(=洗礼を受ける目的には二つがあり、まずキリストと結ばれるためと、そして罪の中に生きていた自分を、キリストの十字架とともに死なせるため、とがあるということ。そしてこのことを知らないのですか、いや、知っているはずです、とパウロが問いかけています)。わたしたちは洗礼によってキリストとともに葬(ほうむ)られ、その死にあずかるものとなりました(=罪に支配されていたわたしたちは、洗礼によってキリストとともに葬られ、すでに死んだ者となりました)。それは、キリストが御父(おんちち)の栄光によって(=父なる神の御力(みちから)によって)死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです(=わたしたちもいまでは神のために生きる者として、新しく生まれ変わっているということ。すなわち古いわたしたちは死に、キリストと同じように復活させられているということです)』

 

ローマの信徒への手紙・6章の5~8節より

『もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかる(=信仰のあるわたしたちの、かつての罪に支配されていた自分自身は、すでにキリストとともに十字架の上で死んだ者となりました。ここではこのことを “その死の姿にあやかる” と表現しています)ならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう(=いま生きているわたしたちは、キリストとともに一度死んだところから、神の力によって復活させられ、キリストと結ばれた者、神のために生きる者として、新しく生まれ変わっているのです)。わたしたちの古い自分(=信仰を持つ前の、キリストからの聖霊による洗礼を受けていない自分)がキリストとともに十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ(=神に裁かれる運命にあった体が滅ぼされ)、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています(=いまではどんな罪にも従わない存在であることを知っています。わたしたちはもはや罪の奴隷ではなく、神に従順に仕える、神の奴隷になっているのです)。死んだ者は、罪から解放されています(=そもそも死んだ者は罪の誘惑を受けず、罪の犯しようがありません)。わたしたちは、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなると信じます(=古いわたしたちは死に、いまはキリストと結ばれて生きているのです。このことを信じること、この神の教えへの信仰こそが、自分がかかえている原罪(げんざい)の問題と面していく上での、心の拠(よ)りどころとなっていくものなのです)』

 

(上記の内容を信じることが、罪を断っていく上での心の拠りどころとなるものです。もし罪を犯しそうな自分に気がついたなら、『罪に支配されていた自分はすでにキリストとともに死んでいて、いまの自分は神のために生きる者として、復活させられているのだ。そしてなによりは “キリストと一体になっている” のだ』と思い返したらよいのです。それでは次回も「7」をみていきたいと思います)