聖書からの素敵な言葉を

聖書からの素敵な言葉を(ブログ)

聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

聖書における罪から抜けだしていくために(三)

2020年4月19日

 

『 聖書における罪から抜けだしていくために(三) 』

 

(それでは「2」をみていきたいと思います)

 

2.では、人間が罪を犯した先でむかえる結末とは、どういうものなのか。

 

ヘブライ人への手紙・9章の27~28節より

『また、人間にはただ一度死ぬことと、その後(のち)に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後(=十字架にかかられたのち)、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに(=再臨を待ち望んでいる人たちに)、救いをもたらすために現れてくださるのです(=このように人間はだれもが一度死ぬことになりますが、そのあとで最後の審判の場に立たされて、裁きをうけることが定められているのです)』

 

ヨハネの黙示録・20章の11~21節より(=以下は、使徒ヨハネが書きのこしたものです。内容の時期としては、キリストが再臨されたあとの、1000年後のことになっています)

『わたしはまた、大きな白い玉座(ぎょくざ)と、そこに座っておられる方(=裁き主であるキリスト)とを見た。天も地も(=いまある天と地が)、その御前(みまえ=キリストの前)から逃げて行き、行方(ゆくえ)が分からなくなった(=これは地球や宇宙を含む万物が消え失せるということ。すなわち神によって、新しい天と地が創造されることになるので、その準備をされているということです)。わたしはまた、死者たち(=すでに肉体的に死んでいる不信者たち)が、大きな者も小さな者も(=わけへだてのないだれしもが)、玉座の前に立っているのを見た(=裁きの場に立たせられるために、死から甦らされています)。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書(=神が管理されている書物の一つのこと)である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた(=“命の書” にはキリストと結ばれている者たちの名がつづられています。また “幾つかの書物” には、あらゆる人間の行いや口にしたこと、考えたことなどがすべてつづられているものと思います)。海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府(よみ=死者の魂を一時的に入れておく場所)も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた(=これはすべての不信者が、生前に犯した罪の度合いに応じて、裁かれるということ)。死も陰府も火の池に投げ込まれた(=新しく創造される天と地には罪が存在しないので、死も陰府ももう必要がないということ)。この火の池が第二の死である(=人間は一度肉体的に死に、そして不信者にかぎり魂の死を、その二度目の死として経験させられることになります)。その名が命の書に記されていない者は(=すべての不信者は)、火の池に投げ込まれた』

 

(このように最後の審判のときに、生前に犯した罪の度合いに応じて、人は裁(さば)かれることが定められているのです。それでは次回は「3」をみていきたいと思います)