聖書からの素敵な言葉を

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聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

聖書における罪から抜けだしていくために(二)

2020年4月18日

 

『 聖書における罪から抜けだしていくために(二) 』

 

(それでは「1」から順にみていきたいと思います)

 

1.そもそも人間にとって、どういうことが罪にあたるのか。

 

イザヤ書・53章の6節より

『わたしたちは羊の群れ(=これは神をひつじつかいとし、本来それに従うべきわたしたちをひつじにたとえている)。道を誤(あやま)り(=神を見なくなり)、それぞれの方角に向かって行った(=自分勝手な道に進んでいった)。そのわたしたちの罪をすべて(=神を見なくなったわたしたちのすべての罪を)、主は(=父なる神は)彼に(=御子(みこ=神の子)であるキリストに)負わせられた(=これは十字架のことです(=これについては「5」のときに詳しくふれます)。このようにわたしたち人間が、神に目を向けずにいる生き方そのものが罪であるのです)』

 

・マタイによる福音書・5章の27~28節より(=以下は、キリストが弟子たちに語られている言葉です)

『あなたがたも聞いているとおり、『姦淫(かんいん)するな(=性にかかわる不道徳のことをするな)』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既(すで)に心の中でその女を犯したのである(=このように心の中でいだくだけでも、神の目には、それを実際におこなったものとして罪とみなされます。なおここでは姦淫についてのことになっていますが、これはだれかの物を盗(と)ってしまいたいといった思いをいだくことなども、同様に罪を犯したこととみなされるということです)』

 

・ガラテヤの信徒への手紙・5章の19~21節より

『肉の業(にくのわざ=罪に属しているもの)は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色(こうしょく)、偶像礼拝、魔術(=占いのたぐいも含む)、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔(でいすい)、酒宴(しゅえん)、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません(=このようなことが、すべて罪にあたります。私にかぎらずみなさんも、どれかしら身におぼえがあるのではないでしょうか。神は完全な聖なる方ですので、その神からすれば、わたしたち人間はだれもが罪人であるのです)』

 

(このように神の存在を認めていない生き方そのものが罪であり、また仮に心の中でいだくだけであっても、神の教えに反するあらゆることが、神には罪と見なされるのです。それでは次回は「2」をみていきたいと思います)