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聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

ヨハネの黙示録(六)・フィラデルフィアにある教会にあてた手紙について

2020年4月3日

 

ヨハネの黙示録(六)・フィラデルフィアにある教会にあてた手紙について 』

 

(以下は、キリストがフィラデルフィアの教会にあてた手紙になっています。なおフィラデルフィアには、“兄弟愛” という意味があります。これはフィラデルフィアの教会が、17世紀~19世紀ごろの、世界中に力強く教会がひろまった時代の “型” になっていますので、その原動力になった隣人への愛や、また仲間同士の結束力などを指しているものと思います。ここでのキリストは、この教会への叱責はなく、賞賛のみを述べられています。なおこの時代を経て、いよいよわたしたちが生きる現代の教会の型へと、移っていくことになります)

ヨハネの黙示録・3章の7~13節より

フィラデルフィアにある教会の天使(=教会を守っている天使のこと。ただ、以下にでてくる、“あなた” という言葉は、この天使というよりも、この教会の人たちがなす共同体に対して語りかけているものになっています)にこう書き送れ。『聖なる方(=悪の一つとないキリスト)、真実な方(=偽りの一つとないキリスト)、ダビデの鍵を持つ方(=ダビデ王は、神の民であるイスラエルを一つに束ねていた王国の象徴的な存在です。ですから、その神の民の住む王国のカギとなれば、それはここでは、神に属しているもののすべてを管理している、支配権のことを指してくるものと思います)、この方が開けると(=すなわちキリストが、神に通じる門を開けると)、だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることがない(=これはキリストがもつ支配権によって、すべてがコントロールされているということ)。その方が次のように言われる。「わたしはあなたの行い(=信仰を守り、キリストの福音を広めようとしているおこないのこと)を知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた(=その伝道のおこないが、上手くいくように門を開いてくださったということ)。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが(=教会としては貧しく、規模なども小さかったが)、わたしの言葉(=みことば)を守り、わたしの名を知らないと言わなかった(=迫害にあってもキリストへの信仰を証言し、また唯一の救い主であるキリストの名を、外へと発信していった)。見よ、サタンの集い(=神に敵対しているつどい)に属して、自分はユダヤ人である(=“ユダヤ” には、“神をたたえる” という意味があります。ですので “自分はユダヤ人である ”というとき、これは “自分は神をたたえる者である” ということと同じになります。しかしここでの彼らは、サタンのつどいに属していて、キリストを認めていないのですから、偽りを言っていることになります)と言う者たちには(=すなわちキリストを拒否しているユダヤ教徒には)、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人(=神をたたえる者)ではなく、偽っているのだ(=自称しているにすぎないのだ)。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏す(=これはこの先において、迫害していた者と、迫害されていた者との立場が逆転する日がくるということです。キリストは迫害をうけている教会の者たちについていますので、神の裁きがもたらされるときには、迫害をしていた者たちが、命乞いをするなどして、地面のちりを舐(な)めるようになります)ようにし、わたしがあなたを愛していることを(=キリストが正しい教会についておられることを)彼らに知らせよう。あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った(=弱い教会にありながらも苦難に耐え、信仰を守った)。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に(=これは世のおわりの最後の7年間のことです。すなわち艱難期(かんなんき)のときにということ)、わたしもあなたを守ろう(=キリストは艱難期のおとずれの前に、正しい教会を天にあげられ、携挙(けいきょ)されます)。わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい(=信仰を固く守りなさい)。勝利を得る者(=信仰をもって歩む者)を、わたしの神の神殿の柱にしよう(=永遠の神の国における栄誉をあたえよう)。彼はもう決して外へ(=神の国の外へ)出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名(=父なる神の名)と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名(=永遠につづく神の国の名)、そして、わたしの新しい名(=キリストの新しい名)を書き記そう(=これらの名が記されることで、その人は、永遠に神によって所有される者になるということ)。耳ある者は、“霊”が諸教会(=すべての教会のこと。つまりいまのわたしたちが属している教会にも向けられているということです)に告げることを聞くがよい」』

 

(次回は、ラオディキヤの教会にあてた手紙をとりあげていきたいと思います)