聖書からの素敵な言葉を

聖書からの素敵な言葉を(ブログ)

聖書を手にされたことのない方のために、わかりやすくを心がけて、ブログを書かせていただいております。

<最重要記事>・神の国に招かれるためにおさえておくべきこと

2020年3月6日

 

『 最重要記事・神の国に招かれるためにおさえておくべきこと 』

 

(今回は、これまで記事にしてきた中で一番大切なことをとりあげます。今後も、今回の記事以上に大切なことをとりあげることはありませんので、もし今日はじめてこのブログを覗いた方がいましたら、ぜひ最後まで読んでいってください。なお記事でふれている内容は、キリストが十字架の上でながしてくださった “血” についてのことになります)

 

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・以下の、マタイによる福音書・26章の26~28節には、キリストが十字架にかけられる前の、夜の食事でのできごとがつづられています。ここでキリストご自身が、“多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である” という言葉を述べておられます。わたしたちはなににもまして、この言葉の意味を理解しておく必要があります。

 

『一同(=キリストと十一人の弟子たちのこと。なおこのときすでにユダは、裏切りを実行するためこの場にはいません)が食事をしているとき(=十字架にかけられる前の、夜の食事をしているとき)、イエスはパンを取り、賛美(=神への賛美)の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である(=これは、この夜が明けたのちに十字架にかけられることになるご自身の体を、この裂いたパンにたとえておられます)。」また、杯(さかずき=これにはぶどう酒が入っています)を取り、感謝(=神への感謝)の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦(ゆる)されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である(=キリストは、十字架にかけられることでながされるご自身の血を、さかずきに入ったぶどう酒にたとえておられます。そしてここでの “血” ですが、まずその前に、わたしたちの皆が、神が求めておられる生き方ができずに、これまでも多くの罪を犯してきた存在であるのをみとめてください。そしてこの御子(みこ=神の子)であるキリストの血こそが、わたしたちの犯した罪の代価としてながされ、罪の支配下にあったわたしたちを、神がキリストにおいて買いもどしてくださったことになるのです。このおかげで本来裁かれるはずのわたしたちが、裁かれずにすむようになるのです。ただしこの恵みにあずかるには、このことを信じていなければなりません。このことを信じている者だけが、聖霊(=神の霊)をさずかり、神からの罪のゆるしをいただけるという契約を、神と結んだことになるのです。言いかえるなら、これを信じていない者は、神から裁かれ、永遠の火の池に入れられることになるのです)」』

 

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・以下の、ヨハネによる福音書・19章の28~30節には、十字架の上で死を迎える直前に、キリストご自身が、“成し遂げられた” と仰っているのがつづられています。

 

『この後(のち=これはキリストが十字架の上で、神からの裁きを(=本来であればわたしたちが受けるべき裁きを)受けおえたあとのことを指しています)、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられた(=わたしたちの罪の代価としての血をながされ、神とわたしたちとが結ぶ新しい契約を成立させた)のを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した(=これは旧約聖書イザヤ書53章や、詩編22編16節などで、キリストがわたしたちの罪を背負い、苦しみの中で “渇(かわ)く” ことになる、といった預言がなされています。それがここで成就したということ)。そこには、酸(す)いぶどう酒を満たした器(うつわ)が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿(かいめん=スポンジの性質をもつ)をヒソプ(=植物の一種)に付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた(=このようにキリストは、本来罪人であるわたしたちが受けるはずの裁きを一身に引き受けて、ご自身が神から裁かれることになりました。こうして御子(みこ)としての使命を果たすことで、神とわたしたちが結ぶ新しい契約、すなわちキリストがしてくださったことを信じることで、罪がゆるされ、永遠の神の国へと招いていただけるという契約を確立してくださったのです。このことに対してキリストご自身が、“成し遂げられた” と仰っているのです)』

 

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・以下の、ペトロの手紙 一・1章の17~19節にも、キリストの血が、わたしたちの罪のつぐないとしてながされたことが、つづられています。

 

『また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方(=神は、人間が犯したどんなささいな罪も見逃すことなく、裁かれることになります)を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住(かりず)まいする間(=この地上でのわたしたちの暮らしは、仮住まいであるということ。わたしたちはこの肉体が朽(く)ちたあとに、永遠に神の国で過ごすのか、あるいは永遠に火の池で過ごすのか、このどちらかに分けられることになります。この “永遠” という長さからしたら、この地上での暮らしは、それこそ仮住まいになります)、その方を畏れて(おそれて=心から服してうやまって)生活すべきです(=神だけが、わたしたちを神の国に招かれるのか、あるいは火の池に落とされるのか、この決定権をお持ちなのですから、神によってつくられたわたしたちは、神に服しうやまう必要があるのです)。知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来(=先祖代々)のむなしい生活から贖(あがな)われたのは(=先祖からの罪を犯しつづけてきた生活から、つぐないをして救われたのは)、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚(けが)れのない小羊のようなキリストの尊(とうと)い血(=十字架でながしてくださった血)によるのです(=このようにわたしたちの罪のつぐないとして、キリストの血がながされました。本来であれば、罪を犯してきたわたしたちは、神の国に入れるだけのふさわしい者ではありません。しかしキリストがすべての罪をつぐなってくださり、それを信じるわたしたちは、神の国に招いていただけるだけの存在に生まれ変わっているのです。これを実現してくださったがゆえに、キリストはメシア(=救い主)であると呼ばれるのです)』

 

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・以下の、ローマの信徒への手紙・4章の24~25節には、十字架で亡くなったキリストが、三日目に父なる神によって復活させられたことが、つづられています。

 

『わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方(=キリストは十字架にかけられて命をおとし、そこから三日目に甦りました。この復活をさせた方は、三位一体(さんみいったい)であるところの父なる神になります。※わたしたちにとっての唯一の神は、父なる神、子なるキリスト、霊なる神(=聖霊)という三つの位格をもった神であるのです。要するにキリストは神であると同時に、メシアでもあるのです)を信じれば、わたしたちも義(ぎ=神によって正しい者、救われる者とされること)と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され(=キリストの命は、わたしたちの罪の身代わりとして犠牲にされました)、わたしたちが義とされるために復活させられたのです(=キリストは死から甦り、現在は天の玉座(ぎょくざ)の右についておられます。わたしたちはキリストが十字架でしてくださったこと、またその死から父なる神によって復活させられたことを信じることで、信仰によって義とされているのです)』

 

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(今回の内容をまとめますと、キリストは、わたしたちの罪の身代わりとして十字架で命をおとし、墓にほうむられ、そして三日目に父なる神によって復活させられたということです。このように上記にあることは、わたしたちが、知らなかった、ではすまされない内容になっています。このことを知らずに、神の国へとつづく門をくぐることはありません。こう書いてしまうと重々しく感じるかもしれませんが、神はわたしたちを救うことに対して、むずかしいことを求められているわけではありません。わたしたちは、キリストがしてくださったことを信じるだけで救われるのです。これが人間を愛してくださっている神が、与えてくださった恵みであるのです)